或る街の群青

 

この街に住み始めて、5年目になった。

子どもの頃は、この街に住むなんて想像できなかっただろう。

住むどころかどこにあるのかさえ知らなかった。

縁もゆかりもない土地だ。

5年前ですら、こうなるとは微塵も思っていなかった。

それからというもの、”果たして、自分の選択は正しかったのだろうか”という問いに答えられずにいる。

 

得たもの、失ったもの。

 

どちらが多いかと聞かれれば、後者だと思う。

余りにも多くのものを失くてしまった。

失ってしまったものもあれば、捨てたものもある。

ただ、捨てたものの数なんてたかが知れている。

ほとんどのものは、知らず知らずのうちに失くしてしまっていた。

 

反対に、得たものはなんだろうか。

パッと思いついたのは、カネだった。

でも、それしか思いつかなかった。

ぼくはなにがしたかったのだろう。

カネのために、犠牲を払ったのか。

それは失ったものより大切なのだろうか。

ぼくはその答えを知っている。

知っているからこそ、未だに後ろばかり見ているのだろう。

 

住めば都という言葉は、嘘だ。

正確に言えば、都にはなるかもしれない。

でも、都ではあるが、故郷ではないのだ。

ぼくが求めているのは、煌びやかで豊かな都ではなく、安心できる故郷だ。

それでも、帰らないのはなぜなのだろうか。

自分でも分からない。

帰りたいという思いだけでは、どうにもならない現実があるのも事実だ。

その現実を壊すことは容易い。

壊した後にどうやって直していくのかがぼくを悩ませている。

いつもここで思考が止まる。

自分の制御できる範囲外のものが多くなると逃げてしまう。

ぼくは臆病だ。

対岸には自分が求めているものが見えているのに、一歩が出せない。

この街は都だと言い聞かせることで、一歩進んでいる気にさせているのかもしれない。

 

でも、今更戻ったところで、ぼくの知っている故郷は残っているのだろうか。

故郷も僕と同じように、何かを得て、何かを失ったはずだ。

失ったものの中に、ぼくが大切にしていたものがないという保証は何処にもない。

すでにぼくが知っている故郷はないのかもしれない。

色々な思いが重なり、未だにぼくはこの街にいる。

 

人生で取り戻せないものは、時間なんだなと、

当たり前だけど痛感しているそんな4年間だった。

正解に近づくためには、いまから何をすればいいのだろう。