コロナ時代を生きているのって歴史的に見たら凄いことなのかなとか思ったりね

久しぶりに何かを書きたくなった。

特段書くこともないが、いま思うことでも書いておこう。

 

お盆の時期になった。

この前梅雨が明けたかと思えば、もうすぐ夏が終わる。

コロナウイルスが蔓延している状態は相変わらずだ。

どこかに出かけることも憚られるこの頃。

ストレスが溜まっている人も多い。

僕もその一人かもしれない。

でも、この状況に対してストレスを抱えていてもどうしようもないとも思う。

自分には、この状況を打破する手段を持ち合わせていないのだから。

待つしかないのだ。

待ったところで、コロナ前の暮らしに戻ることはないかもしれない。

けれど、戻らないなら、新しい暮らしに慣れるしかない。

 

コロナのニュースが毎日流れ、人々がマスクをしている光景が当たり前になった。

もはや、マスクをしていない方が違和感があるくらいだ。

先日、信号待ちをしているとき、ふと自分が物語のなかにいる感覚になった。

未知のウイルスが蔓延した世界のはなしのなかにいる自分。

現実なのに、どこか他人事のような気持ちでいる。

自分は何も変わっていないのに、世界は変わってしまった。

そう思うと、自分が想像している以上に貴重な経験をしているような気がした。

 

この世は、実際に経験した人でないと理解することができないことばかりだ。

戦争の悲惨さや虐めで自殺した人の苦悩は、共感はできても、完璧に自分のものにできるわけではない。

その人たちの真の苦しみは、当事者にならないとわからない。

結局どこかで、自分とは関係ないものだと思っている。

色々な経験することは、有意義なことだが、味わいたくない経験も沢山ある。

コロナもその類だ。

ただ、経験せざる負えないのであれば、如何にこの状況を味わうかではないか。

どうせなら、自分の中でプラスの経験になるように、思考を巡らせる方がいい。

コロナが終息すれば、世界中で外出を自粛しているという状況が二度と起こらないかもしれない。

そうなれば、経験できたのは、いま生きている僕たちだけだ。

この時代を過去のものとして、懐かしめるのも僕たちだけだ。

コロナが終息するまでは、将来のための準備期間だと思っている。

出来ることが限られているからこそ、考えられることや出来ることがあると思う。

だから、我慢というよりも、ちょっと寄り道しているという感覚でいる。

人生山あり谷ありの方が、振り返ってみると面白いんじゃないかな。

それに、自分の力でどうにもならないことで悩むのは好きじゃない。

世の中は、理不尽なことを押し付けてくるものだから。

最近は、特にそう思う。

自分の中では、自分が主人公だけど、この世界にとって、自分は脇役にすらなれない。

そんな小さい奴が、大きな問題に頭抱えたって仕方ない。

その力は、自分が解決しないといけない問題が出てきた時に取っておけばいい。

いまは、理不尽を受け入れる柔軟さと我慢強さを養うときなのかもしれない。

 

自分が生きている間に、これ以上の世界的な疫病が発生するかはわからないけど、人類にとっては、パンデミックに対するいい実践だと思う。

疫病の発生を抑えることは不可能だ。

今後も未知のウイルスや細菌によって、苦しむ時代はくると思う。

そのときに、この時代の経験が少しでも役に立つのであれば、同じ時代を生きた人間として誇らしい。

偉そうなこと言ったけど、僕自身は何もしていない。というより、何もできなかった。

けれども、歴史の重要な1ページに存在していた事実が少しだけ嬉しい気がする。

 

改めて、凄い時代に生きているなと思う。

とはいえ、コロナが終息するのが待ち遠しいな。